弊社裁判を応援してくださる皆様。いつもありがとうございます。
令和3年6月1日(火)は『弊社裁判』控訴審第3回期日でした。この日、当方と、原告側、それぞれ一人の弁護士が準備書面要旨を法廷内で朗読しました。
原告側は、今回「労働基準法3条」に弊社が違反しているとの主張を展開しましたが、弊社には違法な行為はなかったと考えており、原告の主張は失当であると考えております。追って当方弁護士が反論を準備すると思います。今回ここには、当方弁護士が朗読した準備書面要旨、準備書面本文の全文、及び関連する重要資料。部落解放同盟機関紙「解放新聞」、南木隆治氏の「ブログ記事」などを公表いたします。裁判はかなり重要な局面に近づいていますので、当方主張の正しさと、現在の裁判の争点を皆様にご理解いただくために、非常に詳しく、6月1日期日の当方裁判所提出資料のほとんど全部(いまだ社員のほとんどは原告が誰か知りませんので、原告を社内で特定できる恐れのある丙71号証のみ除いて)をここに掲載させていただきました。
皆様、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
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6月1日 法廷内で当方中村正彦弁護士が朗読
令和2年(ネ)第1866号 損害賠償請求控訴事件
意見陳述(令和3年5月21日付一審被告ら控訴準備書面要旨)
令和3年6月1日
大阪高等裁判所第2民事部6係 御中
一審被告フジ住宅株式会社訴訟代理人
弁護士 益 田 哲 生
弁護士 池 田 直 樹
弁護士 勝 井 良 光
弁護士 中 井 崇
一審被告今井光郎訴訟代理人
弁護士 松 本 藤 一
弁護士 中 村 正 彦
弁護士 堀 貴 晴
今回の当方の書面では、一審原告から訴え変更申立により新たに提起された「資料等配布の差止請求」の中身に対して、答弁と反論を行っています。
以下、その要旨を述べます。
1 一審原告の求める差止めは2種類あり、その1つは、「中国・韓国・北朝鮮の国家や政府、政府関係者を強く批判したり、中韓朝の国籍や出自を有する者に人格攻撃の侮辱をしたり、中韓朝に友好的な労働組合・マスメディア・政治家・評論家を侮辱したり、日本や日本人を賛美して中韓朝に対する優越性を述べたりする内容の記事等の資料を、会社内で配布してはならない」という内容です。
そのような差止めが認められるべき根拠として、一審原告は、「職場において差別的な思想の流布、煽動、宣伝活動にさらされない人格的利益」などの侵害を受けていると主張していますが、一審被告らは、まずその人格権侵害を強く争います。
その理由は、これまでこちらが縷々主張してきたことですが、一審被告らがなしているような政治的見解の記載された資料の配布は、内容的にも言論態様からしてもヘイトスピーチに該当せず、民族的差別を助長する内容でもなく、一審原告を特定の批判対象として攻撃する表現でもないということです。そのうえ、資料の閲読や論旨への賛意を強制するものでもないために社員の思想・信条や内心の平穏などの精神的自由を侵害するものとはいえず、むしろ、社会的に許容される言論行為であるということもいえます。
2 また、今回の差止請求は、差止めの対象が、あまりに漠然、曖昧としていて特定が不十分である、そして、過度に広範であり差止めに適さない表現まで含まれうるために、不適法です。具体的に一部を紹介します。
① 一審原告の主張する目的が仮に正当だとしても、「国家や政府、政府関係者を強く批判」する文書等を配布することを禁じるのは、明らかに過度に広範です。他の国家や政府を批判することが、全て、差別的な思想の流布等に該当するわけではないからです。また、一審原告は、中国籍を有する者でもなく、なぜに「中韓朝」として、「中国」に関する言論が規制対象となるのかも不明です。
② 「強く批判」との「強く」という点は、漠然不明確です。「普通の」批判はセーフで、「強い」批判はアウトなわけですが、線引きができるわけがありません。「批判」という言葉も、「人格攻撃」、「侮辱」といった文言も、どういった表現までがそれに含まれるのか、一義的ではなく、極めて曖昧です。
③ 「マスメディア、政治家、評論家」という点も、漠然不明確です。何より、「マスメディア、政治家、評論家」に対して意見論評をなすというのは、民主政の基盤という点で表現の自由の最も重要な意義の具体化であり、それを全面的に規制するのは、一審原告の主張する目的からしても、広過ぎることは明白です。
3 さらには、今回の差止請求は、表現行為の事前差止めの要件を満たしません。
表現行為に対する事前抑制は、最高裁判例において、「表現の自由を保障し検閲を禁止する憲法二一条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうるものといわなければならない」と明言されています。
そして、北方ジャーナル事件や石に泳ぐ魚事件といった先例から読み取れる最高裁の考え方からしますと、本件の事前差止めの基準は、「社内での資料配布により、一審原告が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるとき」という要件を設けるのが相当です。
本件でその点を見ますと、一審被告らによる広い意味で政治的見解の記された資料の配布がされ、仮に、一審原告の「職場において差別的な思想の流布等にさらされない人格的利益」が害されることがあったとしても、その内容は一審原告個人に関するものではなく一般的言論に過ぎませんから、一審原告に重大で回復困難な損害は生じるものではないのです。
4 一審原告が求めているもう1つの差止めは、「本件訴訟及びその判決並びに訴えを起こした一審原告に対する批判を内容とする資料等を、会社内で配布してはならない」という内容です。
その根拠として、一審原告は「職場において自由な人間関係を形成する自由」という人格権や「裁判を受ける権利」の侵害であると主張しますが、その点も、一審被告らは強く争います。
本件訴訟に関する一審被告らの意見や社員の感想が記載された資料の一審被告らによる配布は、表現自体も穏当であり一審原告の実名を出していないという内容からしても、配布態様からしても、一審原告に対する報復的非難でもなく、社内疎外を意図したりその効果をもたらしているものではありません。本件のような、互いに言い分があってしかるべき紛争に関して、当事者として意見を発信したり、一審原告及びその支援団体並びにマスコミによるネガティブキャンペーンにより動揺した社員の士気を高めようとすることは、社会的に許容される一審被告らによる表現の自由の行使であるという点もあります。
また、一審原告は、これまで提訴行為を批判する資料配布がなされても、本件の提訴を取り下げたわけでもなく、訴えを維持し、原判決に対して控訴手続もとり、かつ、内容的にも堂々たる訴訟追行をしてきています。その点からして、本件事案に関して、一審原告の「裁判を受ける権利」の侵害も実際はありません。
5 そして、2つめの差止請求に、対象が十分に特定されず漠然不明確であるとともに対象が過度に広範であるという深刻な問題点があるのは、1つめと同様です。判決や提訴行為への「批判」はならんとのことですが、その範囲はやはりよく分かりません。
何より、本件の紛争内容は、個人の名誉やプライバシーとは異なる問題で、公共性、公益性を有するものであり、それに対する意見論評を許さないのは行き過ぎです。
6 加えて、2つめの差止請求も、表現行為の事前差止めの要件を満たしません。裁判を批判する内容の資料配布等があっても、一審原告が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるとはいえないからです。
7 以上のように、言論の差止めという請求の形がとられたことにより、一審被告らが行使している表現の自由という人権の重要性や、一審原告が受けているという権利利益の侵害の不明瞭さが、いっそうはっきりし、一審被告らの資料配布を違法とした原判決の判断の無理が、むしろ顕わになったと、当方は考えます。
以 上
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令和2年(ネ)第1866号 損害賠償請求控訴事件
今井会長・フジ住宅 (原告側の)訴え変更に関する準備書面
令和3年5月21日
大阪高等裁判所第2民事部6係 御中
一審被告フジ住宅株式会社訴訟代理人
弁護士 益 田 哲 生
弁護士 池 田 直 樹
弁護士 勝 井 良 光
弁護士 中 井 崇
一審被告今井光郎訴訟代理人
弁護士 松 本 藤 一
弁護士 中 村 正 彦
弁護士 堀 貴 晴
第1 訴え変更申立(追加的変更)の本案に対する一審被告らの答弁
当審において一審原告からなされた令和2年11月6日付訴え変更申立書(追加的変更)による訴え変更をもって追加された請求の趣旨(なお、別紙行為目録については、令和3年3月31日付けの訴え変更申立書訂正申立書により訂正されたものを指す)に対する一審被告らの答弁は、本案前のものとしては、令和2年12月8日付の「訴え変更申立(追加的変更)に対する異議の申立」に記載したとおりであるが、一審被告らは、本書をもって、本案に対するものとして、本件訴え変更後の請求の趣旨に関し、下記のとおり答弁する。
記
一審原告の一審被告らに対する請求をいずれも棄却する
との判決を求める。
第2 追加された請求の原因に対する一審被告らの答弁
1 はじめに
令和2年11月6日付訴え変更申立書(以下、「本件訴え変更申立書」という。)による訴え変更により追加された請求の原因記載の事実関係や法的主張は、記載長大であるが、ほとんどがこれまでの主張の繰り返しに過ぎない。それに対する一審被告らの事実認否や法的反論については、一審及び当審で述べてきたとおりであるので、繰り返すことはせず、事実面の必要な点に絞り、簡略に答弁する。
2 配布資料に対する感想文の提出が義務づけられていないこと
一審原告は、本件訴え変更申立書27頁6行目以下で、「配布資料に対する感想文の提出が義務づけられていた」と主張するが、一審被告らは、否認する。
経営理念感想文の主題の選択は、各社員の自由に委ねられており、一審被告らの配布資料の内容に関係のない、日々の業務上の出来事やその中での気づき、私的な暮らしの中での雑感、関心のある社会的テーマへの意見等々、何を書いてもよい(丙5、6、9、21、23、32,56~58、甲136、157、168、178等)。
また、感想文を書くことが負担であれば、前月の感想文集から、良いと思った感想文を3人分挙げるだけでよいとの指示も周知されており、「感想文を書かねばならない」わけでもない(丙1の2、丙1の2、丙1の5等。原審でのフジ住宅準備書面4の11頁参照)。
一審原告は、本件訴え変更申立書27頁下から7行目以下で、一審被告今井の話の録音を聞く勉強会について「問題原因対策と呼ばれる書面」の提出を一審原告所属部署の社員が指示されたというエピソードも主張するが、時期も、一審被告今井の話のテーマも、具体的に特定されておらず、事実主張として不十分である。
そして、一審被告らが社内で調査したところ、上記エピソードは、平成24年8月に起きた次のような出来事を一審原告が大きく曲げた形で主張しているものと判明した。
○ 当時、一審被告会社のA課では、社員の研鑽の一環として、経営理念勉強会という名称で、一審被告今井の話や他の講師の話を録音したテープを、部署毎で聴くということをしていた(現在も行うことがある)。
○ 一審被告会社の一般職社員B氏が、社内の経営理念勉強会(テープ録音を聴くだけでなく、実地に講師の話を聞く勉強会も、経営理念勉強会と社内では呼んでいる)で一審被告会社のパート社員を対象に行った話(講義)の録音を、一審原告所属部署のC班が、平成24年8月には、チーム内の経営理念勉強会で聴いた。但し、その講義の中で、B氏が、教材としての位置づけで、一審被告今井が話している録音を流した可能性はある。
○ しかし、C班の班員は、その勉強会の感想を日報に書かなかった(そもそも、正式な感想文を提出することは求められない勉強会でもあった)。
○ そのことを班のリーダーであるD主査(当時)は不満に思い、一審被告今井に伝えた。一審被告今井は、「D主査が望まれるなら、各位には日報などに書くよう伝えればよい」とD主査に助言した。
○ それを受けてD主査は、班員に対し、「今後は日報でもメモでもよいので感想を提出してください」と口頭で指示した。D主査は、この8月の勉強会の感想も(遅れてで構わないので)日報に書いてもらいたいと考えて、かかる指示を出したのであったが、班員は、その指示の冒頭に「今後は」との言葉があったため、次回以降の経営理念勉強会でそのようにすればよいと受け止め、指示を受けた後もその8月の勉強会の感想はやはり日報に書かなかった。
○ D主査は、指示したにもかかわらず、依然、班員の日報にその8月の勉強会の感想の記載がないことが理解できず、一審原告を含む班員らに対し「なぜ感想文を書かないのか」と問い質し、「問原対」という報告書(「問題対策原因」の略語で、一審被告会社において、何らか業務上のトラブル等が発生したときに、関係した社員が、問題点、その原因、今後の対策を自分で考えて、上司に報告する書面)を提出するよう求めた。
○ しかし、班員らは納得できず、その1人が上司のE副部長に相談した。E副部長が介入し、事情を確認したところ、D主査の「今後は」という言葉が、班員の誤解を招いていたことが判明した。E副部長は、D主査の伝え方に問題があったと指摘してD主査を指導し、班員らからの「問原対」提出は不要と判断し、周知した(但し、そのE副部長による指導と周知の前に、「問原対」を提出した班員は一部いた)。
○ D主査は、自身の落ち度を理解、反省し、自らがその件に関する「問原対」を作成し、E副部長及び一審被告今井に提出した(丙71)。
○ D主査作成のその「問原対」は、C班員らにも渡され、D主査から班員に詫びもなされた。
事実関係は以上のとおりであり、業務に直接関連しない政治的見解について、一審被告今井の話の録音の聴取や感想文提出を強制したものではなかったことは、明らかである。勉強会で一審原告らが聴いたのは一審被告今井の話ではなくB氏の話の録音であったこと、その内容も政治的見解等ではなく業務に関するものであったこと、日報への感想記載を班員に求めたのは一審被告今井ではなくD主査の自主的判断であったこと、班員らに不満が生じたのはD主査が誤解を招く言い方で指示を出し班内に摩擦が生じたことであって、勉強会における感想の提出指示自体が理由ではなかったこと、結局一審原告ら班員は「問原対」(問題原因対策)を提出する必要はなくなり、むしろ「問原対」の作成と提出により反省と謝罪を表明することになったのはD主査であったこと等々の点で、一審原告の主張は真の事実関係を大きく改変しており、不公正な印象操作であるといわざるをえない。
3 本件訴え変更申立書別紙1及び2の配布資料一覧表について
一審被告らの令和3年1月22日付控訴準備書面5頁でも述べたが、本件訴え変更申立書別紙1及び2の配布資料一覧表記載の資料配布があった事実は、一審被告らは認める(但し、同表には誤記が散見される)。
4 一審原告及び原判決を非難する感想文を書くよう社員を扇動した事実はない。
一審原告は、本件訴え変更申立書70頁下から3行目以下で、一審原告及び原判決を非難する感想文を書くよう一審被告らが社員を扇動している旨主張するが、一審被告らは、否認する。
一審判決は報道され、社内でも報告されて、自然と社員の関心事にもなり、その結果として、経営理念感想文の主題に選ぶ社員が多くなったということはいえるが、一審被告らが扇動したわけではない。「今月はまた裁判に関する件が増えるかもしれません」という予想を述べたことが、扇動であるとか、会社の見解に従って書くような示唆であるというのは、誤った評価である。
当該部分の前後を見ても、「『経営理念感想文集(勿論何を書いても自由)』の配布によって『差別』が行われたかのように裁判所が判断する事は、全く不当だと言わねばなりません。会社は常に適切な『量』、『内容』を選んで従業員に参考までに配布しているのです。しかも裁判に関して書かれる感想文はその中のほんの一部です。最近では、『新型コロナウィルス』の事などが多く書かれています。裁判の件はほんの少しです。けれど、今回不当な判決が出ましたので、今月はまた裁判に関する件が増えるかもしれません」(甲146・7~8枚目)というようなものであり、一審判決批判の文脈の中で、そのときどきの新規のテーマでの感想文が増えることを指摘しているだけであり、「扇動」のような書きぶりでは全くない。
第3 一審被告らの主張1 -行為目録1の差止請求に対して-
1 一審被告らの資料配布は人格権侵害ではないこと
一審原告の本件訴えの変更による行為目録1の行為の差止請求は、要するに、一審被告らによる行為目録1の行為が、一審原告の人格権(ないし人格的利益)の侵害であるということが、大前提である。
しかし、一審被告らとしては、まずその点を争う。今後、一審被告らが行為目録1記載の行為をしても、そこに一審原告の人格権の侵害はない。
行為目録1の行為は、訴え変更申立書及び一審原告第6準備書面を読む限り、原判決において、「本件配布①」とされた行為(「本件文書①」とされた文書の配布行為)と内容や範囲が一致するものといえる。
そして、訴え変更申立書においては、行為目録1の行為によって、一審原告の人格権、具体的には、「職場において差別的な思想の流布、煽動、宣伝活動にさらされない人格的利益」、「労使関係における労働者の思想信条の自由」及び「労働者の人格的自律権」が侵害されると主張されているが、かかる被侵害利益も、用語は多少異なるが、一審で「在日コリアンとして職場において人種差別・民族差別的な言動にさらされずに就労する権利」などと主張されていたものと、同じ内容である。
しかしながら、本件配布①に、一審原告のかかる権利利益の違法な侵害がない(それゆえ、不法行為にも債務不履行にも該当しない)ということは、一審被告らが、これまで一審、二審を通じて縷々主張し、立証してきたところである。
本件訴えの変更に対し、行為目録1の行為に人格権侵害がないと一審被告らが主張する理由も、全く同様であり、再度詳論はしないが、要するに、一審被告らがなしているような政治的見解の記載された資料の配布は、内容的にも言論態様からしてもヘイトスピーチに該当せず、民族的差別を助長する内容でもなく、一審原告を特定の批判対象として攻撃する表現でもないうえ、資料の閲読や論旨への賛意を強制するものでもないために社員の思想・信条や内心の平穏などの精神的自由を侵害するものとはいえず、むしろ、社会的に許容される一審被告らによる政治的な意見表明であり表現の自由の行使であるという点である(但し、ここで言う「政治的な意見表明」というのは、歴史認識や道徳観、社会論評なども含めた非常に広義のものであり、特定の政党への支持や投票を促すような狭義のものではないことは付言しておく)。
そして、行為目録1の行為は、原判決が認めたような「労働者の国籍によって差別的取扱いを受けない人格的利益を具体的に侵害するおそれがあり、その態様、程度がもはや社会的に許容できる限度を超える」ような文書配布による社員教育ともいえない。その理由も、一審被告らが控訴理由書で述べたとおりである。
2 差止め対象行為の特定の不十分、漠然性ないし過度の広範性
(1)行為目録1の記載は、差止めの対象としては、あまりに漠然、曖昧としていて特定が不十分である、そして、過度に広範であり差止めに適さない表現まで含まれうる、という深刻な問題点もあり、それゆえに、申立どおりに差止めを命じられてはならないことは明らかである。以下、詳論する。
(2)本件のような人格権侵害を理由とした表現行為の差止めに限らず、差止請求に関する一般論として、差止めの対象となる行為が具体的に特定されていなければ、不適当な訴えとされることは、論を待たないであろう。
差止めを命ずる判決が確定すれば、当該の「なさない債務」の履行に、裁判所の強制力が付与され、それを破った場合に金銭の支払いを命じられるという間接強制が可能となるが、差止対象行為が十分に特定されていないと、どのような行為をなしたときにそれを破った場合義務違反として間接強制の対象として良いか、執行裁判所も判断ができず、執行不能と処理せざるをえなくなる。そのような判決には意味がないから、差止めの対象は、間接強制が可能な程度には具体的に特定される必要がある。
しかし、本件の訴え変更申立の行為目録1の内容は、後述のとおり、表現行為の主体、時期、表現内容のいずれをとっても、極めて不明確で、著しく特定性を欠いており、不適法な訴えと評価されるべきことは明らかである。
(3)さらに、本件の差止請求は、特に、政治的意見等に関する資料配布という「表現行為」の差止めを求めるものであることから、表現の自由の重要性にも配慮して、差止対象の表現行為が、合理的に限定され、かつ、明確に特定されている必要がある。しかし、行為目録1の記載は、差止めの対象としては、あまりに漠然、曖昧としていて特定が不十分であり、かつ、過度に広範であり差止めに適さない表現まで含まれうる、という深刻な問題点もあり、それゆえに、申立どおりに差止めを命じられてはならないことは明らかである。
その理由を補足すると、表現の自由の優越的地位から、表現の自由を制約する法令については、表現行為に対する萎縮効果を最小限にすべきであり、当該法令が、その内容につき漠然不明確であり、表現行為に対する萎縮効果を有する場合には、文面上違憲無効にすべきであるという「漠然性ゆえ無効の法理」が提唱され、通説的に定着している。同じく、表現の自由を制約する法令については、その制約が過度のものであってはならず、過度に広範な制約が法文上存在すること自体によって、当該法令は文面上違憲無効にすべきであるという「過度の広範性ゆえ無効の法理」も確立していることは、周知のとおりである。
それらの法理は法令の違憲審査基準であり、本件でそのまま適用されるものではないが、表現行為の差止めが命じられるにあたっても、同様の観点から、対象が漠然不明確な差止めや、対象が過度に広範な差止めは、違法な表現の自由の侵害となるから、決してなされるべきではないということは、異論のないはずである。
裁判で差止めが容認された後述の北方ジャーナル事件や石に泳ぐ魚事件を見ても、出版が差し止められた書物は、「『北方ジャーナル』という雑誌の、この号」、「この『石に泳ぐ魚』という小説」というように、明確に特定、限定されている。今後の資料配布でどんな言論がなされるのか予想するしかない本件と、それらの先例は、大きく質が異なることも意識される必要がある。
(4)上記のような観点から、行為目録1を見るに、以下のように、差止対象行為の特定の著しい不十分性ないし漠然性(以下、本書面で「漠然」「不明確」等と指摘する点は、差止請求において一般に求められる特定性に欠けるという趣旨も含むものとする。)や過度の広範性のある文言が非常に多く含まれており、どの範囲の行為が差止めの対象となるのか判別できないということが、指摘できる。
① 一審原告の「職場において差別的な思想の流布、煽動、宣伝活動にさらされない人格的利益や思想信条の自由」を守るという目的が仮に正当だとしても、「国家や政府、政府関係者を強く批判」する文書等を配布することを禁じるのは、明らかに過度に広範である。他の国家や政府を批判することが、全て、差別的な思想の流布等に該当するわけではないからである。また、一審原告は、中国籍を有する者でもなく、なぜに「中韓朝」として、「中国」に関する言論が規制対象となるのかも不明である。
② 「強く批判」との「強く」という点は、漠然不明確である。「批判」も、同様であるし、もしそれを字義どおりに広く解すると、過度に広範である。
③ 「人格攻撃」、「侮辱」といった文言も、どういった批評表現までがそれに含まれるのか、一義的ではなく、漠然不明確である。
④ 中韓朝に「友好的」という点も、漠然不明確である。
⑤ 「マスメディア、政治家、評論家」という点も、漠然不明確である。「マスメディア、政治家、評論家」に対して意見論評をなすというのは、民主政の基盤という点で表現の自由の最も重要な意義の具体化であり、それを全面的に規制するのは、前記の目的からしても、過度に広範であるともいえる。
⑥ 「『反日』、『売国奴』などの文言」、「侮辱」という点も、どういった批評表現までがそれに含まれるのか、一義的ではなく、漠然不明確である。
⑦ 日本やその民族的出自を有する者を「賛美して」、中韓朝やその民族的出自を有する者に対する「優越性を述べたりする」という点も、どこまでが「賛美」で「優越性を述べる」ことなのか、漠然曖昧に過ぎるし、広く解すると、過度に広範である。
⑧ 行為目録1の末尾には、「一審原告の職場において差別的な思想の流布、煽動、宣伝活動にさらされない人格的利益や思想信条の自由を侵害する一切の行為」と記載されているが、趣旨が不明瞭である。かような「人格的利益や思想信条の自由を侵害する」ということが、対象行為の該当要件なのであれば、かかる評価的概念が入ることで、いっそう漠然性が高まる。かような「人格的利益や思想信条の自由を侵害する」という点が、対象行為の該当要件でなく評価面での結論なのであれば、行為目録の記載から除外されるべきである(通常、差止め請求の対象としては、一義的に解釈できる具体的行為のみを記載するものであろう)。ただ、そのような限定が外れることで、さらにいっそう過度の広範性が高まってしまうともいえる。加えて、「一切の」という文言の趣旨も、不明である。前半で諸々摘示された表現内容は、例示に過ぎないということであろうか。であるとすれば、なおさら、漠然性や過度の広範性が高まり、ほとんど無限定な目録と評価せざるをえない。
⑨ 表現内容以外でも、そもそも「誰の」表現行為が差し止められることになるのか、名宛人も明瞭ではない。行為目録1からは、諸々の資料等を「一審被告会社において」「配布」する行為が禁じられることになるが、例えば、一審被告会社や一審被告今井の指示のない中で、管理職の1人が独自に、部下たる社員ら対して配布することも違反となるのであろうか。
⑩ また、全従業員に対する配布が禁じられることも、過度に広範である。一審被告会社には1000人を超える社員がおり、一審原告と直接には全く接点をもたない社員も大勢存在する。一審原告が「職場において差別的な思想の流布、煽動、宣伝活動にさらされない人格的利益」を保護することを目的としても、一審原告に接することの考えにくい社員に対して資料配布をすることまで規制されるのは、行き過ぎである。
⑪ 差止めによる制約が課される期間が無限定であるのも、過度に広範である。行為目録1の記載では、永続的に、一定の資料配付が禁止され続けることになる。
3 表現行為の事前差止めの要件を満たさないこと
(1)一審原告の本件訴えの変更による請求は、明らかに表現の事前差止めであるため、表現の自由の重要な意義も踏まえ、どういう基準で差止めを肯認するのかの要件論(必要性、許容性)についても、慎重な検討が必要である。
この点、表現行為に対する事前抑制については、「新聞、雑誌その他の出版物や放送等の表現物がその自由市場に出る前に抑止してその内容を読者ないし聴視者の側に到達させる途を閉ざし又はその到達を遅らせてその意義を失わせ、公の批判の機会を減少させるものであり、また、事前抑制たることの性質上、予測に基づくものとならざるをえないこと等から事後制裁の場合よりも広汎にわたり易く、濫用の虞があるうえ、実際上の抑止的効果が事後制裁の場合より大きいと考えられるのであつて、表現行為に対する事前抑制は、表現の自由を保障し検閲を禁止する憲法二一条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうるものといわなければならない」と、北方ジャーナル事件判決(最高裁昭和61年6月11日大法廷判決。民集40巻4号872頁)において指摘されている。
同判決においては、名誉侵害の被害者は、人格権としての名誉権に基づき、加害者に対して、現に行われている侵害行為を排除し、または将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができる旨判示されるとともに、人格権としての名誉権に基づく出版物の印刷、製本、販売、頒布等の事前差止めは、右出版物が公務員または公職選挙の候補者に対する評価、批判等に関するものである場合には、原則として許されず、その表現内容が真実でないかまたはもっぱら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときに限り、例外的に許されるという基準が示された。
同事件は、名誉権侵害の事案であり、「職場において差別的な思想の流布、煽動、宣伝活動にさらされない人格的利益」や「労働者の国籍によって差別的取扱いを受けない人格的利益」が問題とされている本件とは内容が異なるが、表現の事前差止めの要件論の検討には参考とすべきである。
(2)もう一つ、参照すべき最高裁判例としては、名誉、プライバシー等の侵害に基づく小説の出版の差止めを認めた原審の判断に違法がないとされた石に泳ぐ魚事件判決がある(最高裁判所平成14年9月24日第3小法廷判決。集民207号243頁)。
同判決では、その原審である東京高等裁判所平成13年2月15日判決(判タ1061号289頁)の「人格的価値を侵害された者は、人格権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当」、「どのような場合に侵害行為の差止めが認められるかは、侵害行為の対象となった人物の社会的地位や侵害行為の性質に留意しつつ、予想される侵害行為によって受ける被害者側の不利益と侵害行為を差し止めることによって受ける侵害者側の不利益とを比較衡量して決すべきである。そして、侵害行為が明らかに予想され、その侵害行為によって被害者が重大な損失を受けるおそれがあり、かつ、その回復を事後に図るのが不可能ないし著しく困難になると認められるときは侵害行為の差止めを肯認すべきである」という判断に触れられたうえで、「原審の確定した事実関係によれば、公共の利益に係わらない被上告人のプライバシーにわたる事項を表現内容に含む本件小説の公表により公的立場にない被上告人の名誉、プライバシー、名誉感情が侵害されたものであって、本件小説の出版等により被上告人に重大で回復困難な損害を被らせるおそれがあるというべきである。したがって、人格権としての名誉権等に基づく被上告人の各請求を認容した判断に違法はなく、この判断が憲法21条1項に違反するものでない」などと判示された。
同判決に対しては、問題とされた小説は既に雑誌には掲載されており、一切の公表がなされる前に差止めが認められた事案ではなく、各種人格権侵害を総合考慮した事例判断であって、プライバシー侵害に基づく差止めの一般的要件を最高裁が示したものではないなどとの評価がされている。ただ、公共の利益にかかわらない事項で、公的な立場にない者の名誉及びプライバシー等が侵害され、出版等によってその者に回復困難な損害を被らせるおそれがあるときには、当該出版等の差止めが認められることがあるという限度では、出版等の差止めについての一応の基準が示されたとみることもできる。
(3)上記のような最高裁の表現行為に対する事前差止めに関する考え方を参照しながら、本件のような事案において事前差止めの基準について考えると、「社内での資料配布により、一審原告が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるとき」という要件を設けるのが相当と解される。
北方ジャーナル事件は、差止め対象の出版物が公務員または公職選挙の候補者に対する評価、批判等に関するものであったため、「被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞がある」という非常に厳格な基準が示されたと評価されている。
それに対し、石に泳ぐ魚事件は、東京高裁判決と最高裁判決を合わせ読むに、差止め対象の出版物が公共の利益に関わらない事項で公的な立場にない者の名誉及びプライバシー等に関するものであったため、予想される侵害行為によって受ける被害者側の不利益と、侵害行為を差し止めることによって受ける侵害者側の不利益との比較衡量論が提示され、北方ジャーナル事件よりもやや緩和された考え方をとることが相当である旨が示唆されているようにも読める。ただ、東京高裁判決は、比較衡量論の論及に続いて、「そして、侵害行為が明らかに予想され、その侵害行為によって被害者が重大な損失を受けるおそれがあり、かつ、その回復を事後に図るのが不可能ないし著しく困難になると認められるときは侵害行為の差止めを肯認すべき」と判示して、被害者の「重大な損失を受けるおそれ」と「その回復を事後に図るのが不可能ないし著しく困難」という要素も基準論の中で示している。また、最高裁判決も、「本件小説の出版等により被上告人に重大で回復困難な損害を被らせるおそれがあるというべき」という認定をし差止めを認めた原審判断を適法としている(但し、損害の回復困難性に関する最高裁の判断部分に「不可能」や「著しく」という文言はない)ことにも、留意が必要である。
上記のような2つの最高裁判決の判示を参考として本件を検討すると、本件の行為目録1の行為は、一審原告個人に関する表現ではなく、むしろ、内容は政治的見解の発表であり「公共の利益に関する事項」に関する一般的言論であることからして、事前抑制に関してはより厳格な基準が想定されるのが相当であり、北方ジャーナル事件判決に類する要件を設定するべきといえる。
ただ、本件は名誉権侵害の事件ではないため、表現内容の真実性などは要件論には含まれず、結論としては、「社内での資料配布により、一審原告が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある」場合に、事前差止めが容認されるのが相当であろう。
(4)かような規範を定立したうえで、本件において、「社内での資料配布(行為目録1の行為)により、一審原告が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある」かを検討する。
仮に百歩譲って、行為目録1の行為によって、「職場において差別的な思想の流布、煽動、宣伝活動にさらされない人格的利益」が害されることがあったとしても、一審原告個人を対象にして特定した差別的言論をもって攻撃されているわけでもなく、「重大な損害」とは言い難い。
原判決も本件配布①について、不法行為の成立を認めたとはいえ、「労働者の国籍によって差別的取扱いを受けない人格的利益を具体的に侵害するおそれ」とか「国籍による差別的取扱いを受けるのではないかとの現実的な危惧感を抱いてしかるべき程度」などと表現し(下線部は一審被告ら代理人)、人格権ないし人格的利益の具体的侵害があったとまでは明言していなかった。そのように、原判決が認定した損害も相当に抽象的なものであり、今後も、同様の行為で、「重大な損害」が生じるとはいえない。
被害の著しい回復困難性の点はどうかというと、個人の名誉やプライバシーの場合は、個人に関する具体的情報であり、いったん害されてしまうと「社会は容易には忘れてくれず、被害者個人に長期的につきまとう刻印となる」という意味で回復が非常に困難であるという性質はあるが、行為目録1記載の行為は、所詮「一般的言論」でしかなく、もしそれにより一審原告に「職場において差別的な思想の流布、煽動、宣伝活動にさらされる苦痛」や「国籍による差別的取扱いを受けるのではないかとの現実的な危惧感」のようなものが生じたとしても、その被害は、回復が困難なものではない。その被害は、事後的な金銭補償等で回復がなされうるのであって、だからこそ、一審原告も、平成27年8月31日の提訴から、令和2年11月6日の訴え変更申立まで(あるいは、令和2年7月6日の申入れ(丙38)まで)の間、5年ほど、差止請求には及んでこなかったのである。また、一審判決が支払を命じた損害賠償金も、非常に多数の資料配付を違法と認定したにしては、総額として低額であったのであり、本件では、違法な言論による被害が、回復が困難なほど深刻なものではないことを示唆している。
以上の検討からして、本件において、事前差止めの要件たる「社内での資料配布(行為目録1の行為)により、一審原告が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある」とは到底いえない。
4 小括
以上の諸点から、一審原告の本件訴えの変更による行為目録1の行為の差止請求が棄却されるべきことは明白である。
第4 一審被告らの主張2 -行為目録2の差止請求に対して-
1 一審被告らの資料配布は一審原告の職場において自由な人間関係を形成する自由や裁判を受ける権利を侵害する行為ではないこと
(1) 一審原告の本件訴えの変更による行為目録2の行為の差止請求は、要するに、一審被告らによる行為目録2の行為が、一審原告の「職場において自由な人間関係を形成する自由」という人格権(ないし人格的利益)や「裁判を受ける権利」の侵害であるということが、大前提である。
しかし、一審被告らとしては、まずその点を争う。今後、一審被告らが行為目録2記載の行為をしても、そこに一審原告の人格権や裁判を受ける権利の侵害はない。
行為目録2の行為は、訴え変更申立書及び一審原告第6準備書面を読む限り、原判決において、「本件配布②」とされた行為(「本件文書②」とされた文書の配布行為)と内容や範囲が一致するものといえる。
そして、訴え変更申立書においては、行為目録2の行為によって、一審原告の人格権、具体的には、「職場において自由な人間関係を形成する自由」という人格権や「裁判を受ける権利」が侵害されると主張されているが、かかる被侵害利益のうち、前者は、一審でも同様に主張されていたものである。
しかしながら、本件配布②に、一審原告の「職場において自由な人間関係を形成する自由」の違法な侵害がない(それゆえ、不法行為にも債務不履行にも該当しない)ということは、一審被告らが、これまで一審、二審を通じて縷々主張し、立証してきたところである(「裁判を受ける権利」については、(2)で後述する)。
本件訴えの変更に対し、行為目録1の行為にかような人格権侵害がないと一審被告らが主張する理由も、全く同様であり、再度詳論はしないが、要するに、一審被告らがなしているような本件訴訟に関する一審被告らの意見や社員の感想が記載された資料の配布は、内容的にも(表現自体の穏当性のほか、一審原告の実名を出していないという点も含む)配布態様からしても、原告に対する報復的非難でもなく、社内疎外を意図したりその効果をもたらしているものではない、というものである。そして、むしろ、本件のような互いに言い分があってしかるべき紛争に関して当事者として意見を発信したり、一審原告及びその支援団体並びにマスコミによるネガティブキャンペーンにより動揺した社員の士気を高めようとすることは、社会的に許容される一審被告らによる表現の自由の行使であるという点もある。
これまで、一審原告側は、支援組織や弁護団も含めて、ネット上の意見発信、マスコミ報道の活用、提携団体の援助、街宣活動等々により一審被告らに対するバッシングを社会内で盛んに行っている。その一方で、一審被告らが行為目録2の行為を禁じられるということは、それに対する対抗言論を少なくとも社内では一切行ってはならないということである。思想闘争というのが本件の実相であるにもかかわらず、そのように一審原告側は大騒ぎする一方で、一審被告らは反発の声をあげることはせずに黙っておけとなどと求めるのは、あまりにアンフェアで一方的な制約であり、不当である。
(2)裁判を受ける権利の侵害であるという主張に対して
行為目録2の行為の差止請求においては、一審原告は、被侵害利益として、「裁判を受ける権利」も持ち出している。また、原判決も、本件配布②を違法とした理由の一つとして、「原告の裁判を受ける権利を抑圧する」ものであったという点を指摘している(原判決30頁)。これらの点についての、一審被告らの反論は次のとおりである。
まず、そもそもが、一審原告は、本件配布②がなされても、本件の提訴を取り下げたわけでもなく、これまで訴えを維持し、原判決に対して控訴手続もとり、かつ、内容的にも堂々たる訴訟追行をしてきていることからして、本件事案に関して、原告の「裁判を受ける権利」は、結果として、十全に行使されており、何ら侵害されていないということが指摘できる。
会社を訴えたことに対する意趣返しとして、不当な人事査定や配置転換などの不利益処遇が、一審原告に対してなされたというような事実もない。
一審原告の内心において、追い風だけでなく逆風も吹く中で訴訟を維持することは苦しい面もあろうとは推測するが、そのような心情は社会的な問題提起の意義を伴う訴訟に取り組むときには付きものであり、「裁判を受ける権利」とは別問題である。内心の苦衷の問題に止まらず、仮に、現実に過剰な人格攻撃や誹謗中傷がされたときには、その被害は、法律的に損害賠償の問題にはなりうるが、それも、「人格権侵害」の問題であって、「裁判を受ける権利の侵害」ではないのであり、両者が混同されてはならない。
一審原告や原判決が「裁判を受ける権利の侵害ないし抑圧」というのは、本件事案に関する裁判ではなく、一審原告が、今後「別の事象に関して」一審被告らを訴えようとしたときに、「過去に本件訴訟提起を非難されたことで、次の提訴がしづらくなる」という趣旨であろうか。
しかし、かような「別の事象」が具体的に存在するわけでもなく、そのような抽象的なものが漠然と想定され、現在の表現行為の違法評価の理由とされるのには違和感が大きい。そのような抽象的な「将来の裁判」を受ける権利を理由に、現在の表現の差止め請求がなされるのは不当である。
2 差止め対象行為の特定の不十分、漠然性ないし過度の広範性
行為目録1と同様、行為目録2の記載も、差止めの対象としては、特定が不十分で、あまりに漠然、曖昧としていている、そして、過度に広範であり差止めに適さない表現まで含まれうる、という深刻な問題点もあり、それゆえに、申立どおりに差止めを命じられてはならないことは明らかである。以下、詳論する。
行為目録1に関して述べたところと同様に、提訴行為や判決に関する意見表明等の表現行為の差止めが命じられるにあたっても、対象が十分に特定されず漠然不明確な差止めや、対象が過度に広範な差止めは、違法な表現の自由の侵害となるから、決してなされてはならないということは、異論のないところであろう。
その観点から、行為目録2を見るに、以下のように、漠然性や過度の広範性のある文言が多く含まれており、どの範囲の行為が差止めの対象となるのか判別できないということが、指摘できる。
① 一審原告の「裁判を受ける権利」や「職場において自由な人間関係を形成する自由」を守るという目的が仮に正当だとしても、「本件訴訟やこれを提起した一審原告、及び、本件訴訟の判決に対する批判」を内容とする文書等を配布することを禁じるのは、明らかに過度に広範である。提訴行為や判決内容を批判することが、全て、一審原告の「裁判を受ける権利」や「職場において自由な人間関係を形成する自由」を害するわけではないからである。
② 「批判」という点は、漠然不明確である。もし字義どおりに広く解すると、過度に広範である。判決内容を批評することすら禁じられかねない。
③ 行為目録2の末尾には、「一審原告の裁判を受ける権利や職場において自由な人間関係を形成する自由を侵害する一切の行為」と記載されているが、趣旨が不明瞭である。かような「裁判を受ける権利や職場において自由な人間関係を形成する自由を侵害する」ということが、対象行為の該当要件なのであれば、かかる評価的概念が入ることで、いっそう漠然性が高まる。かような「裁判を受ける権利や職場において自由な人間関係を形成する自由を侵害する」という点が、対象行為の該当要件でなく評価面での結論なのであれば、行為目録の記載から除外されるべきである。ただ、そのような限定が外れることで、さらにいっそう過度の広範性が高まってしまうともいえる。加えて、「一切の」という文言の趣旨も、不明である。前半で諸々摘示された表現内容は、例示に過ぎないということであろうか。であるとすれば、なおさら、漠然性や過度の広範性が高まり、ほとんど無限定な目録と評価せざるをえない。
④ 表現内容以外でも、そもそも「誰の」表現行為が差し止められることになるのか、名宛人も明瞭ではないという点も、行為目録1と同様である。
⑤ また、全従業員に対する配布が禁じられることも、過度に広範である。一審被告会社には1000人を超える社員がおり、一審原告と直接には全く接点をもたない社員も大勢存在する。一審原告が「職場において自由な人間関係を形成する自由」を保護することを目的としても、一審原告に接することの考えにくい社員に対して資料配布をすることまで規制されるのは、行き過ぎである。
⑥ 差止めによる制約が課される期間が無限定であるのも、過度に広範である。行為目録2の記載では、永続的に、一定の資料配付が禁止され続けることになる。
3 表現行為の事前差止めの要件を満たさないこと
(1)一審原告の本件訴えの変更による請求は、表現の事前差止めであり、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうると考えるべきことは、前述のとおりである。
そして、本件の行為目録2の行為の事前差止めに関して、北方ジャーナル事件判決や石に泳ぐ魚事件判決も参照しつつ、いかなる基準を採用すべきかというと、やはり、「社内での資料配布により、一審原告が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるとき」という要件が設定されるのが相当であると考えられる。
「一般的言論」である行為目録1の行為とは異なり、行為目録2の行為は、(実名を出さないとしても)一審原告個人ないしその行為、その成果(判決)や結果を表現のテーマとしているという点はあり、確かに一審原告個人の権利利益の保護という点からも、慎重な考慮は必要ではある。
しかし、差止め対象となる表現行為の主題は、一審原告の名誉に関することでもなく、プライバシーに関することでもなく、本件訴訟に関する一審原告の提訴行為や、判決の内容である。それらは、裁判の公開原則のもと、社会一般に公開されていて、一審原告側の支援活動やマスコミ報道によるものも含めて、係争内容に関する基本的な情報は公知となっており(一審原告の個人名が特定される訴訟記録について閲覧制限がかけられているのみである)、一審原告の名誉やプライバシーを害されるような具体的情報が、訴訟において取り扱われているわけではない。一審原告側が問題にしているのも、一審原告個人に関する具体的情報の公開ではなく、提訴への非難とか判決批判という「意見論評」の範疇の資料の配布である。
そして、本件訴訟のテーマ自体も、一審原告個人の私事にまつわるものではなく、「どこまでの表現が、不当あるいは違法なヘイトスピーチや差別言論と評価されるのか」とか、「社内で使用者による政治的資料等の配布がどこまで許容されるか」という極めてシリアスなものであって、公益性ないし公共性を多分に有している。
そのような本件の公共的特質や、裁判情報の公知性からすると、「提訴行為」や「判決」に関する言論についての事前抑制については、より厳格な基準が用いられるのが相当であり、北方ジャーナル事件判決に類する要件を設定するべきである。具体的には、「社内での資料配布により、一審原告が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるとき」という要件を満たすことが必要と考えるのが相当である。
(2)かような規範を定立したうえで、本件において、「社内での資料配布(行為目録2の行為)により、一審原告が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある」かを検討する。
一審被告らとしては、そもそも、これまで、本件配布②により「職場において自由な人間関係を形成する権利(人格権)」が害されたという事実は、一審原告により立証されていないと考えている。その理由は、一審でも主張したところであるが、一番大きいのは、具体的に一審原告が社内で人間関係に支障を来したというエピソードが主張立証されていないという点である。
一審原告の主張は、要するに「配布資料を自分が読んで、多くの社員が、今回の提訴に批判的であるということを知り、自分の社内での対人関係が消極的になってしまっている」というものであるが、結局は、一審原告の主観の範囲内の話である。それだけで、「職場において自由な人間関係を形成する権利(人格権)」が害されていると評価するのは、行き過ぎである。配布資料には一審原告の実名は出していないため、一審原告が本件訴訟の原告であると認識している範囲は限定的であり、一審原告は社内で普通に働けているのが実情であるし、また、具体的に提訴や報道がきっかけで、同僚らから直接に人間関係を遮断されたり村八分に遭ったりしたという事実もない。そのことからして、損害の重大性がまず認められない。
仮に百歩譲って、行為目録2の行為があって、今後、「職場において自由な人間関係を形成する権利(人格権)」が害されることがあったとしても、それは、社内での新たな資料配布が原因というよりは、既に現時点までの、原告の提訴行為や支援者によるネガティブキャンペーンがもたらした結果というべきであって、将来の差止請求をあえて容認する根拠としては乏しい。その点からすると、「職場において自由な人間関係を形成する権利」の侵害という損害の「著しい回復困難性」も認め難い。今後の資料配布が「著しい回復困難性」を生じさせるわけではないからである。
また、一審原告の「職場における人間関係」は、現在、本件係争の何らかの影響は受けているとしても、この紛争が決着して過去のものになれば、徐々にその影響も薄れていくことが予想されるのであって、その点からも、「著しい回復困難性」は認められない。
上述の諸点からして、今後、一審被告らにより行為目録2の行為がなされたとしても、一審原告に、「職場において自由な人間関係を形成する権利」に対する「重大にして著しく回復困難な損害」が具体的に予想されるとはいえない。
一方で、一審原告に、今後「裁判を受ける権利」の侵害が予測されるわけではないことも、前述1のとおりである。仮に、行為目録2の行為がなされて一審原告の裁判を受ける権利に何らかの抑圧がかかるとしても、それは間接的なものであって、本件裁判自体を維持できなくなるという結果をもたらすようなものではないから、重大で著しく回復困難な損害と評価されるべきものではない。
以上の検討からして、本件において、事前差止めの要件たる「社内での資料配布(行為目録2の行為)により、一審原告が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある」とは到底いえない。
4 小括
以上の諸点から、一審原告の本件訴えの変更による行為目録2の行為の差止請求も棄却されるべきことは明白である。
以上
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令和2年(ネ)第1866号
証 拠 説 明 書
令和3年 5月 21日
大阪高等裁判所民事2部6係 御中
一審被告フジ住宅株式会社
訴訟代理人弁護士 益 田 哲 生
同 池 田 直 樹
同 勝 井 良 光
同 中 井 崇
号 証
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標目
(原本・写しの別)
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作 成
年月日
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作成者
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立 証 趣 旨
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備考
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丙67の1~2
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経営理念感想文
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写し
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2021.4
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一審被告会社社員
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本件訴訟に関連した一審原告支援団体の運動や批判的報道から、社員のモチベーションが危機にさらされる中、経営理念感想文において社員同士が想いを交換しあって互いに励まし合うことが、会社の存立を維持するために必要不可欠な自衛行為に他ならないこと。
2021年4月9日にNHKで放送された「おはよう日本」において、原告のインタビューが放送され、一審被告会社への批判を喚起するような編集・報道がなされ、この報道がなされたことにより、BS12の「賢者の選択」において放送予定であった一審被告会社を取り上げた内容が、放送見送りとなっている。このような状況下において、一審被告会社社員らは強い不安感を抱いているが、経営理念感想文において想いを交換し、互いに励ますことによってモチベーションを維持している。
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丙68の1
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サイボウズにアップされた文書(「解放共闘大阪」)
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写し
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2020.
8.18
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一審被告会社
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一審被告会社は、社内で一審原告を支援する団体作成の新聞を閲覧に供していること。
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丙68の2
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サイボウズにアップされた文書(「解放共闘大阪」)
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写し
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2021.
5.12
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一審被告会社
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一審被告会社は、社内で一審原告を支援する団体作成の新聞を閲覧に供していること。
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丙69
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一審被告会社を応援するブログ
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写し
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2018.
2.3
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南木隆治氏(赤色マジックの囲みは一審被告会社代理人)
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一審原告支援団体が、一審被告会社の信用を毀損するような活動を展開していること。大阪地方裁判所前で街宣活動を行い、その様子を一審被告会社の看板が写り込む角度から写真を撮ってツイッターにアップしている。また、一審原告を支援する団体が発行する新聞では「ヘイト文書」「ヘイトハラスメント裁判」といった文言を繰り返している。
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丙70
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YOU TUBE動画の画面刷り出し(我那覇真子 「4/20生配信 裁判所前よりフジ住宅裁判第2回控訴審口頭弁論」)
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写し
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2021.
4.20
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一審被告会社(写真の刷り出しを行い、マーカーを引いた)
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本件裁判が、多数のフォロワーを持つジャーナリストである我那覇真子氏が取り上げたこともあって社会的関心を集め、その本質が労働紛争ではなく思想闘争であることが広く認知され始めていること
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丙71
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「問原対」と題する書面
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写し
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2012.
8.28
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三島奈津子
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平成24年8月に一審原告所属の設計監理課CAD作成班で行われた経営理念勉強会に関し、参加した社員の感想提出の要否を巡って生じた出来事の実情。一審原告が業務に関連しない政治的見解について感想文提出を強制された事実がないこと。
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丙69号証については下記リンク先よりご確認ください。
この全体が丙69号証として証拠提出されています。
今回のご報告は以上です。
次回第4回控訴審の期日は
7月14日(水) 午後2時より。
今回と同じ法廷です。
7月14日(水)には証人尋問、本人尋問が予定されており、弊社より、元在日韓国人であり、部長に昇格後我が国に帰化した取締役一人、及び、いまはこの方も帰化していますが、入社時在日韓国人だった社員一人、併せて2人が、会社を弁護するための証人尋問に立ってくださいます。
原告側は、本人一人のみの尋問となる予定です。
更に詳しい内容は、追ってこのブログでご案内いたします。
また、すぐ近くに迫っていますが、
6月9日(水)『ブルーリボン訴訟』第3回期日傍聴についてのお知らせを再掲します。
令和3年6月9日(水)『ブルーリボン訴訟第3回口頭弁論』が大阪地方裁判所であり、開廷は午後2時からです。
こちらの裁判は「傍聴券確保の必要」があり、傍聴を希望される皆様、及び傍聴券確保にご協力くださる皆様は、マスク等の感染予防対策を十分していただいた上で、当日午後1時20分までに、別館正面玄関前にお越しくださるとありがたいです。
午後1時25分を過ぎると傍聴券抽選は受けられません。
法廷では 前回同様、弊社会長の今井と、南木隆治氏が原告席に座ります。
黒田裕樹氏は今回も学校での授業があり、出廷はされないと伺っています。
皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。
「弊社裁判」と、「ブルーリボン訴訟」、
二つの裁判は、我が国や世界の動向全体と関連しており、国家の命運とも深く関わり、弊社の責任は極めて重大であると自覚しております。
ここまで弊社裁判を支え、応援し続けてくださっている皆様に深く感謝し、心より、重ねて御礼申し上げます。
そして、どうぞ今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。
(編集責任 フジ住宅株式会社)
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