M先生

フジ住宅株式会社
社長 今井光郎

過去の人生を振り返り、いつも想い出すのは中学時代のM先生のことである。私が中学三年のとき、自分の希望として大学へ行きたかった。しかし、家庭が貧しくどうしても大学進学が出来ぬ。同級生のそのような話が聞こえるたびに工業高校へ進学し、卒業後、就職しなければならないことに当時、空しさと腹立たしさを感じていた(もちろん、現在は大学へ行けなかったことはむしろ良かったと思っている)。

そのことを苦労している母や兄・姉にもいえず、悶悶とした毎日が続き、人生にも嫌気がさし学校を休む日が多くなった。そんなとき、理科の先生であったM先生が、たまに学校へ行くと放課後「今井君、今度の日曜日ハイキングに行かないか?」と誘ってくださった。自分としては余り気乗りはしなかったが、先生の好意や私のことを心配していただいていることは十二分に理解していたので、連れて行っていただくことにした。

確か葛城山だったと記憶しているが、当時、山岳部の顧問をされていた先生が、用意された小さなリュックを背負い二人で山道を歩いた。昼食時には、先生のお母さんが用意された手作りの弁当を食べ、また、休憩時に小川に冷やした缶入りのジュースを飲んだ(そのときのジュースの美味しかったこと) 。現在の私であれば素直に「先生有難う」と感謝の言葉がいえるのであるが、思春期なので「有難う」の一言もいえなかったことを覚えている。

この葛城山のハイキング以外にも、当時、最新の立体映画を二人で見に行き、その後、初めてレストランに連れて行ってもらったこと、また、高校一年の夏休みは三泊四日の富士山、二年のときは三泊四日の白馬岳へ、先生の薄給の中より私のために費用を出してくださった。私が今日あるのは、M先生のお陰であり、私の人生観や価値観に大きな影響を与えてくださったと感謝している。

それ故、私は万分の一でもご恩返しをしたいと強く思い、また、それが私の生きがいの一つでもある。時たま嫌なことがあったときなどは、夜空を見上げながらM先生の顔を思い浮かべると心が清らかになり、「また頑張ろう!」という意欲が出てくる。

経営者として事業に携わっているが、多くの社員、また、その家族の方々を一人でも多く物心両面において幸せにしてあげたい、また、そうあらねばならぬと強く思っている。

ちなみに私の経営理念は『社員の為、お客様の為、取引先の為、地域社会の為、そして日本国の為に頑張る』、信条は『人事を尽くして天命を待つ』である。

今後、事業を経営していく上で、色々な困難、苦難もあると思われるけれども、経営理念・信条にて乗り越えていきたいと思っている。それが私に対し、期待と信頼をしていただいたM先生への最大のご恩返しだと確信している。