人育ての極意書

一言でいえば、人を育てようと強く思えば、自身の器量を大きくしなければならないと確信する。それができなければ無理である。
それでは、自身の器量を大きくする為には・・・独断で言わせていただくと・・・
先ず、自分自身が心の底より強くそのように思い、又、ものすごい努力をしないといけない。
これが、基本中の基本である。この気持ちがあってこそ、その後の色々な勉強が血となり肉になるものと思う。

例えば、帝王学

  • 原理原則を教えて下さる師を持つこと
  • 直言してくれる側近を持つこと
  • 幕賓を持つこと

記憶では、中国4000年の歴史の中で、皇帝が絶対に身につけなければならない学問であるといわれている。しかしながら、この3つを身につける為には本人が一番の問題である。

例えば、1.原理原則を教えて下さる師を持つこととしよう。
弟子は、ある面では教えて下さる師以上の熱意・誠意があってこそ師も真剣にそれに答えて下さるものと私は思う。我々は神や仏ではない。人間である。少なくとも私自身のことを言わせていただくと、例えば誠意が10・5・1の相手があるとしますと(良い悪いは別問題として…又、異論の方もおられるとは思いますが…)

誠意が10の方に対し13、5の方に対し6、1の方に対し1.5の誠意を私は示す。(理由の一つとして、私はそれ程暇な人間ではない。一言でいえば相手の誠意・熱意にあわせるということです。)
それだけの真剣さ、又、誠意・熱意が弟子にあってこそはじめて原理・原則を学び自身の血となり肉にすることができるものだと私は確信する。

2、についても同じである。
直言してくれる側近というものは、上の人がそれだけの器量があると側近が信じればこそ(=信頼・尊敬)直言して下さるものであり(勿論、例外も多々あると思いますが・・・立派でない上の人に対してでもして下さる側近もおられると思いますが・・・・・・)
それだけの度量を持つように上の者は、努力しなければならぬと確信する。

3、についても2と全く同じことがいえると思う。

ただ、上記のように言ってしまえば身も蓋もない?ので…
言葉を替えて言うならば、活学と死学の話でもいいかナァーと思う。
死学とは、単なる物知り。知っているだけで活用・実践が出来ていないので何の役にも立たない。私から言わせれば寝ている方がマシ。巨人・阪神戦のナイターテレビでも見ていた方が良いのでは…?と思う。

活学とは、知識・技能を活用・実践する。仕事の面をとれば知識・技術を活用して業績を上げる。結果として全社員の為、お客様の為、国家の為になると思う。
ですから、私を含めて、活学の人にならなければと思っている。

私の研究課題は、人育ての極意書ということですが、例えば、デール・カーネギーの「人を動かす」・「道は開ける」を熟読され(出来れば100回以上読まれる。少なくとも10回以上読まれる。)活学されれば・・・"人生の達人"になれると確信致します。

ご質問、又、人育てで困っておられるのでしたら遠慮されることなく聞いて頂ければ幸いに思います。
(何故なら、ケース・バイ・ケース、千差万別であると思います。又、書ききれないと思いますので・・・)

※追加事項(平成12年12月10日(日)記)
器量の件で時々思うのですが、当社の事を考えますと、器の大きい人は、会社全体にとり + か - かを考える。器の小さい人は、自分を主として考える。
(例.間違った自尊心≒いわゆるエエカッコしい・自己保身等)

人育ての極意書
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元来、器量とは、人格・人望を基本として理解力・判断力に優れ、かつ感受性・寛容性に優れた方と私は思う。

健全な自画像をもてない自尊心の低い人が悩むものです。自尊心の高い人は、悩みを問題に転化させます。物事を問題としてとらえ、その解決にあたります。そして人間としての不可欠要素「勇気」「意志」の力を獲得するようになります。

(この文章のみですが、トップセールスは実戦心理学がつくるP.110より)