「おかん、泣かんといて」

兄は結局、中学を辞めて鉄工所に住み込みで働きはじめました。月1回の休みになると給料を全部家に持ち帰り、母には巻き寿司を、弟の私たちには駄菓子を買ってきてくれました。そんなふうでしたから、上の兄姉たちは皆、高枚には進学できませんでした。

私自身も家の手伝いが日課です。学校が終わると、八百屋をはじめた次兄のもとに駆けつけて野菜が山と積まれたリヤカーを押す。
そんな子ども時代でした。